旅も3日目に入りました 赤坂見附より~鷺沼~愛甲石田
いよいよ大山参りです。
時代劇作家・佐伯泰英先生の作品 居眠り磐音 江戸双紙
雨降ノ山では、相州大隅郡大山は海抜およそ三千七百尺の高さ
天平勝宝四年 良弁僧都によつてこの地に雨降山大山寺が開基された。
阿夫利神社の別名を持つ 石尊大権現と雨降山大山寺不動尊は
神仏混合の山である。・・・・・・・
江戸を離れて旅をするには格好の地の利
職人・鳶・魚屋・八百屋・駕籠かき等が同業の講を作り、
町内の親睦・講仲間親睦に大山信仰を深めた・・さらに
江の島、富士山に登り、その帰路に品川をはじめとする遊里に立ち寄り
物見遊参を兼ねた信仰の場として・・・・ブームを巻き起こした。
2014/11/8.8:05
前回の終点 愛甲石田駅前に到着
大山寺を目指します。
小田急線の踏切を渡ります
天正2年(1574)相誉上人周貞が開山。
本尊は阿弥陀如来を中尊とする三尊像である。
日本橋より 53キロ
大山の全容が見えてきました。
道端に 古い石仏とラブラブの道祖神
開基は関東管領の上杉氏。本堂前庭にある多宝塔は、
一部欠けているが復元高は7mを越え、市内最大の石造建築物である。
高部屋神社の北側にあった神宮寺から廃仏毀尺によって移設されたものである。
高部屋神社
梵鐘「重要文化財」
延喜式内社で、旧八幡社。拝殿は慶応元年(1865)のもので、
茅葺きの総欅造りである。本殿は五間流造と大変珍しく、
境内にある銅鐘には至徳3年(1386)の銘がある。
9:05
双体道祖神の傍らに道標がある。
道標には「右 い丶やまみち、左 ひなたみち、七五三引村、昭和九年」と刻まれている
江戸の時代 この場所に3軒の茶店があった。
青山道と柏尾方面くる大山道(戸田道)、田村通り大山道から
別れる日向道、平塚・伊勢原方面から来る津久井道 交差するところ
多くの人が行きかい賑やかだつた。
上杉定正の屋敷があった頃、有事に備えて館の空堀に水を入れるための用水で、
別名道灌堀ともいわれている
千石堰用水に架かる三つの橋の供養塔である。
三所の橋とは、この台久保の石橋と石倉の石橋、川上の石橋であったという
石倉橋
| 昔から安産守護の神として崇められ、神社の向拝の柱を削り取って煎じ て飲むと安産できると信じられてきた。 そのため柱は今では針金と鉄骨を巻き付けて保護されている。 拝殿には歌川国経の美人図絵馬が飾られている |
迷子坂
三の鳥居
すずかわに架かる赤い橋
正面に大山
この橋の奥に お祓い所があります
愛宕滝がある。大山には多くの滝があり、
江戸時代、参詣者は滝で身を清めてから白衣に身を包み山頂を目指した
この滝もその一つで、ここで禊をして神社に参ることになる。
豆腐坂と呼ばれる旧道で、江戸時代から参拝者がとうふを手のひらに乗せ、
すすりながらこの急坂を上っていった、ということから名前がついた
いよいよ
茶湯寺
ひっそり 涅槃がありました
ケーブルの前 の案内板
山道の途中
大山寺到着
11時50分 階段下
お寺さんから・・江の島が・
天平勝宝7年(755)、奈良東大寺の別当良弁僧正が開山した。
尊は願行上人が文永年間(1274頃)に鋳造した鉄の不動明王である。
関東36不動尊 一番寺
天平勝宝7年(755)、奈良東大寺の別当良弁僧正が開山した。
明治初年の廃仏毀釈によって破壊されていたものを明治18年に全国の
信者たちの寄進によって再建されたもの。
本尊は願行上人が文永11年(1264)に鋳造した鉄の不動明王である。
その霊力の強さと 御利益の大きさに家康、家光などの将軍家はもとより、
関東一円の武士や庶民に広く信仰された。
大山寺を参拝後阿夫利神社へ
上がると玉砂利を敷いた広大な境内が広がり、正面に阿夫利神社への石段がある。
右手に茶屋が、階段を上がり・阿夫利神社下社に到着する。
阿夫利神社は延喜式内社で、関東総鎮護の神として広く信仰されている。
下社は拝殿ともいい、頂上の本社に祭る三神をここで礼拝する。
下社の高度が700mで山頂が1,252mなので高度差約550m、
90分程度かかるといわれている。山頂まで28丁に分れ、1丁毎に石柱が立っていて、
数えて行くと山頂までの目安になる。
本日は、下社止まりです。
12:30
眼下には、相模湾が 江の島が
大山道は無事歩いて参りました、
大山まからの帰りは、江戸の人々ご一緒で
江の島「弁財天」にお参りして帰ります。
次は
田村道で藤沢に出て 江の島道に向かいます。
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